- #ブログ
【史跡】浜松城跡🏯
【史跡】浜松城跡🏯
かなり以前の写真。
宿泊出張の際に近くに泊まったので早朝散歩にて訪問🚶。
プライベートでも過去に訪問していたので、見学ルート等は把握してました。
早朝につき資料館は閉まっていたもののあれこれ散策できて良い散歩になりました🙂。
浜松城とは。
「浜松城(はままつじょう。旧字体:濱松󠄁城󠄀)は、静岡県浜松市中央区にある日本の城跡。野面積みの石垣で有名。歴代城主の多くが後に江戸幕府の重鎮に出世したことから「出世城」といわれた。」
「浜松城の前身は15世紀頃に築城された曳馬城であり、築城時の城主は不明である。16世紀前半には今川氏支配下の飯尾氏が城主を務めていた。この頃の曳馬城は、江戸時代の絵図にみられる「古城」と表記された部分であり、現在の元城町東照宮付近にあたる。
徳川家康が元亀元年(1570年)に曳馬城に入城し、浜松城へと改称。城域の拡張や改修を行い、城下町の形成を進めた。徳川家康在城時における浜松城の具体像は不明確であるが、古文書や出土遺物から現在の本丸に向けて城域が拡張されたことが窺える。また、徳川家康が築造した浜松城は、土造りの城であり、石垣や瓦葺建物を備えていなかったとされる。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦い以後、江戸時代を通じて徳川家譜代大名の居城となり、浜松城から豊臣色は失われる。江戸時代の浜松城主は九家二十二代に引き継がれていき、歴代の城主によって城域の改変・改修が進められた。
堀尾氏在城期に創建された天守は、17世紀のうちに姿を消し、天守台のみが現在に伝わる。以降、天守門が浜松城の最高所に位置する建造物といえ、江戸時代を通して浜松城を代表する建物であったことが窺える。
明治6年(1873年)の廃城令により、浜松城の建物や土地の払い下げが行われ、三の丸、二の丸の宅地化が進行した。天守曲輪と本丸の一部は大きな開発を免れ、昭和25年(1950年)の浜松城公園開設に至る。」
(Wikipediaより引用)












次回はまた別の史跡を。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「あらゆる生産工場のシステムを構築する」
中央特機株式会社
〒531-0071
大阪府大阪市北区中津7-7-1
電話 06-6454-4604(代)
https://chuo-tokki.com
info@chuo-tokki.com
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆