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【史跡】あなたの知らない大坂城 マニアック編〜隠れた名所を訪ねて②
【史跡】あなたの知らない大坂城 マニアック編〜隠れた名所を訪ねて②
②「大坂城以前にあったとされる石山本願寺」編。
そもそも石山本願寺とは?
歴史に詳しい方はご存知かと思いますが、長くなりますがWikipediaから引用しておきます。
「天文2年(1533年)に本願寺教団の本山となって以後発展し、戦国の一大勢力となったが、織田信長との抗争(石山合戦)の末、天正8年(1580年)に顕如が明け渡し、その直後に焼失した。
寺地は上町台地の北端にある小高い丘だった。古代は港湾都市、国内流通の中心であった住吉津や難波津、中世には渡辺津があった。丘の北緯は淀川と旧大和川が合流しており、その付近にあった渡辺津は、淀川・大和川水系や瀬戸内海の水運の拠点で、また住吉・堺や和泉・紀伊と京都や山陽方面をつなぐ陸上交通の要地でもあった。台地にそった坂に町が形成されたことから、この地は「小坂(おさか)」、後に「大坂」と呼ばれたという。同寺建立以前は、古墳であったとも言われ、生国魂神社の境内であったともいわれている。同神社は太古からの神社であるため、この地が太古の磐座であったとの説もある。なお、同神社は後の大坂築城の際に上町台地西麓の現在地へ遷座されている。
石山本願寺は、堀、塀、土居などを設けて要害を強固にし、武装を固め防備力を増していき、次第に「寺内町」が形成されていたと考えられている。」
前回ご紹介した「六番櫓」の手前側に石碑がぽつんとあります。説明は長くなるのでかなり端折りましたが、石山本願寺はこの付近にあったと推定されており、ここの立地の良さに目をつけた太閤豊臣秀吉公が後に大坂城を造ったのでは?とも言われている。現在の「大阪」の地名の由来にもなっており(小坂【おさか】→大坂【おおさか】)、かつ石山本願寺は織田信長との戦いに約11年耐えたそうで、それはここの立地の良さや堅固さが理由では?とも言われている。
※データとか見ずに記憶で書いてます。誤り箇所もあるかもしれません、ご了承くださいませ。



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